来日10年:日本初見

日々

こんにちは下午好、🌼hanaです。

2010年9月30日に、上海から仙台の直行便に搭乗して、私は初めて日本に来ました。

あっという間に10年が経ち、後2ヶ月で来日11年になります。将来のことはわからないですが、日本にいるこの10年間は今の私にとって、最も重要な10年でした。3.11のような歴史的な災害に遭うことも含めて様々な体験があり、様々な人との出会いがあり、人生にとっての挫折や成長、感動がありました。

このブログで、すこしずつ、私のこの10年を記録していきます。小説やドラマと比べられないが、一人の外国人の日本での留学、生活、就職、結婚に関する本当の物語です。

⓪上海

”夢を見る”の始まり

17歳の秋、故郷の雲南省から大都会の上海に来ました。上海の大学では日本語を専攻し、ゼロから日本語を勉強していました。

大学での3年目から、多くのクラスメートは就職活動を始めました。同じ寮の子も面接準備とインターンを始めて、毎日慌ただしく忙しくしていた。

しかし、私は就職したくなかった。

なぜなら、人生で例えば80歳まで生きられるとしたら、20歳から働いて、60歳まで働くとすると、40年近く働けることになる、だったら開始を少し遅らせてもいいじゃない?と思っていましたから。

せっかく日本語も日本の歴史も、日本の文化も勉強したから、本と映像からではなく、自分で日本三景も、能も、抹茶も、サラリーマン。。。。。。などなどを見てみたいと思いました。日本へ留学することを目標にしました。留学することを目標にしてからはひたすら留学の申請方法、大学のこと、研究テーマのことを調べていました。

今になっても思えていますが、あの頃の自分は、初めて自分の将来に関する夢を見始めた。ドラマやアニメの中の日本で暮らしている自分はどうなっているか、どんなことをしているか、どんな人に会えるか、毎日も様々な妄想でワクワクしていました。

そして、とうとう!2009年の9月に、一人の教授から内定をもらえ、日本への留学が叶いました。

①仙台

怖いもの知らず

中国の空港は海辺にあるとしても、滑走路は海から一定の距離があるのに対して、仙台の空港の滑走路は海から近く、飛行機が着陸する前に、私は”飛行機は海に着陸するの?!”と心の中で緊張でいっぱいでした。(笑)

そして、2010年9月30日の午後、私は沢山の荷物を持って、仙台空港に到着しました。

一人で海外に行くことが始めてとはいえ、何の心配も不安もなかったです。なぜなら、私は日本語ができるという(不思議な)自信があったからです。

しかし、今振り返ってみると、あの時の日本語は下手すぎて、当時の日本語で書いたメールを改めて読んだら、”よく内定もらえたな・・・”と思うぐらい日本語が下手でした(自分の書いたメールを読んで笑っちゃった)。

事前に交通情報も何も調べていなかったけど、なんとか電車やバスで空港から宿までたどり着きました。この途中、やはり不思議なことがありました。(”不思議なことをしました”)

電車は中国の地下鉄と同じだから、チケット買うことも、乗ることも順調でした。

一方、バスは結構苦労(迷惑)しました。

乗り場や乗るバスの確認は下手な日本語をなんとか解決できましたが、バスの乗り方はわからなく、
1) 乗る時に切符を取ることが分からなかった
2) 降りる時にボタンを押すことが分からなかった(乗っているうちになんとか理解したから無事解決)
(ちなみに始発だったからなんとか解決、中国では全てのストップで必ず停車するから、押さなくても大丈夫)
3) 支払う時に・・・大パニック(笑)
当時の自分は日本のコインも紙幣も初めて触った、いきなり380円と言われても、”このコインは100円か、こっち穴があるのが50円か。。。ああ、ごめんなさい〜”とてんやわんや。。。具体的に、以下のような会話でした:
 自分:いくらですか?
 運転手:何番ですか?
 自分:(?)
 運転手:切符は何番ですか?
 自分:(?)どういう意味ですか?
 運転手:どこから乗りましたか?
 自分:仙台駅
 運転手:380円です
 自分:えーと、。。。。(めっちゃ財布で探り始めた、隣のおばちゃんが手伝ってくれて、しばらく
    したら、コインだけでは足りないことが分かった。そして、ピカピカの5000円を差し出した)
 運転手:両替してください
 自分:?りょうがえ?(意味を理解できなかった)
 運転手:これを使って両替してください
 自分:これ?(初めて見た!”両替機”!)
 運転手:やります、お金ください
(そして運転手は必要なコインを集めて、残りを渡してくれた)
 自分:本当にすみません、ありがとうございます!(バス全員に迷惑かけた。。。)

ちなみに、今でも、バスの切符発行機と両替機はすごいと思っています。(笑)

 

バスを降りた後、どうしでも宿が見つからなかったから、今度こそ不思議な行動をしました(笑)。

それは、道にすれ違った女子高校生に声をかけて、”お金を払うから、携帯を貸してください”とお願いしました。(笑)

今考えると、完全にヤバイ奴でしたね。きっとあの女子高校生も人生で初めて(且つ唯一)あったかもしれません(笑)。しかし、なんと女子高校生もいいよと言ってくれて、本当に携帯を貸してくれました!(百円も払ったし、笑)

その後、宿の先輩に”さっき電話してきた番号は誰の?”と聞かれて教えたら、”あんたすごいね!”と言われました(褒められたかどうかは微妙、笑)。

 

このような不思議な出来事は日本に来たばかりの頃、ほぼ毎日起きていました。(笑)

その日の後、私は無事に東北大学で留学を始めました。また今度その後の物語を書きましょう。

最初の日から、私は仙台で日本の方々から、数えきれないの”親切”をもらいました。だから、日本に来て10年のうち3年間しか仙台で過ごしていないが、仙台はずっと、私の”第2の故郷”でして、日本で最も好きなところです。

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